2016年2月5日金曜日

銘柄を明かさない理由R32 天上天下唯我独尊

第32話 天上天下唯我独尊

天使の笑顔をもつ男の保有株の株価は、買値に近づきつつあった。
買い場は近い、男はそのときを待っていた。
ある日、午後からの講義が休講になった男は、兜町へ立ち寄ってみることにした。
個人投資家たちの様子を観察するためである。

兜町で多くの個人投資家たちを見た。
不安げに株価を見る個人投資家もいれば、涼しげな顔で見ている個人投資家もいる。
当たり前だが、株式取引で必要なことは、誰も教えてくれない。
買値になったら買い増すというプランは、本当に正しいのだろうか、男は思った。

「そこをどけ、邪魔だ」
いきなり浴びせられた声に、男は声の相手をみた。
そこには、コンビニのレジ袋を提げた年長のスーツ姿の女性がいた。
「公道で人の往来を妨げるな」、女性はいった。

何だ、この女は、少しばかり顔立ちが整っているからといって、男を見下しているのか。
初対面の男に対して、この上から目線の言い方はないだろう。
周囲の通行人の何人かは、何事かと思い立ち止まっている。
「すいませんでした」、このような相手とは関わらないことだ、男は謝った。

「何がすいませんだ、すいませんだと思うなら理由をいえ」、女性は男にいった。
この女、危ない奴かもしれないな、男は思った。
だが男は気づいた、なぜ自分は謝ったんだ、謝る理由は何だ。
女性もいったように公道だ、謝る必要などない、とくにこの手の相手にはだ、男は思った。

「前言は撤回します、貴女に謝罪するようなことはしていない」男はいった。
女性の連れらしき小柄な小動物を連想させる女性は、心配そうに2人を見ていた。
「貴様は何を考えて、そこに突っ立っていた」、女性が尋ねた。
この女、どこまで高圧的な言い方をするんだ、男は怒り心頭だったが堪えた。

男が何もいわないでいると、女性がいった。
「考え事をするなら、公道ではなく自宅でやれ。
さっきの貴様の顔は、自分の考えが正しいのかどうか迷っていた顔だ。
自分が世界で最も幸せで偉いと思えば、そもそも迷うことはない」

立ち去っていく2人の後姿を見ながら、何だ、あの女はと男は思った。
だが、女の最後の言葉は、今の男の心境を言い当てていた。
あんな女に見透かされるとは、まだまだ修行がたりないってことかもしれないな。
そう考えると、女とのやり取りがおかしくなり、笑いが込み上げてきた。