2016年2月23日火曜日

銘柄を明かさない理由R41 ブラックマンデー

第41話 ブラックマンデー

相場師は男を見つめていった、「なぜ株を教えて欲しい」
「成功したいんです、お願いします」、男は土下座し、頭を地面につけた。
沈黙があった、数秒足らずの時間だったが、男には長く感じられた。
「頭をお上げなさい、中へお入りなさい」、のちに最後の相場師と呼ばれる男がいった。

男は、最後の相場師に弟子入りを認められた。
巨躯を見込まれた男の、最初の仕事は相場師の身辺警護だった。
相場師は外出時には、男を常に帯同した。
相場師に寄ってくる金を無心する輩を排除することが、男の仕事だった。

相場師と一緒にいるだけで、男は多くのことを学ぶことができた。
1987年4月、相場師は当時、主催していた勉強会で出席者に警告を発した。
「持ち株は売れ、今すぐ売れ、売って売って売りまくれ」と。
そして、相場師自身も自らの持ち株を全て手放した。

是川銀蔵氏の自伝「相場師一代」には、当時の様子が次のように書かれている。
「”財テクブーム”を背景に、主婦やOL、サラリーマンまでもが株に熱中し、
証券市場は空前の投資ブームに沸いており、私のいうことに聞く耳を持つ投資家は
私の周囲を除いてはほとんどいないという状況であった」

1987年10月、日経平均株価は1年前の15,000円から、26,000円台に急騰していた。
1987年10月19日、ニューヨーク証券取引所のダウ平均が暴落した。
前日比508ドル安、前日比マイナス22.6%、のちにブラックマンデーと呼ばれる暴落だった。
暴落の原因は、コンピュータのシステム売買ミスだった。

翌1987年10月20日、東京証券取引所には朝から売りが殺到した。
相場師はマスコミを通じて、「一時的な下げだ、絶対に狼狽売りをするな」と警告を発した。
だが、前日比3,836円安、前日比マイナス14.9%の暴落となった。
東京証券取引所が開設されてから、史上最大の暴落だった。

男は今でも、その日に相場師がいった言葉を鮮明に覚えていた。
「19日のニューヨーク証券取引所の出来高は6億株に達している。
暴落時にこれだけの取引が成立することはない。
すぐに相場は反発するはずだ」

男は全財産を投じ、相場師の推奨していた株を信用取引を使い、大量に仕込んだ。
相場師の言葉通り、翌10月21日から日経平均株価は反発した。
わずか7ヵ月後の1988年5月には、26,000円台に回復した。
翌1988年6月には、28,000円の大台を突破、上昇を続けたのである。