2016年4月10日日曜日

銘柄を明かさない理由R58 無敗の男と無敗の女

第58話 無敗の男と無敗の女

男は自宅近くの河川敷で、1人で花見をしていた。
桜は美しい、この美しさはいつも変わらない。
リーマンショックや東日本大震災の年も、桜は美しかった。
含み損だらけのポートフォリオだったが桜を見て癒された、男は思った。

男は今年に入って、久々に株を仕込んでいた。
相場は総悲観の状況が続いている、しばらくは休むも相場だ。
暖かな天気と酔いのためか、男は眠くなった。
河川敷の斜面に横たわった男は、一眠りすべく目を閉じようとした。

男の耳に、軽快な足音が聞こえてきた。
見ると、足音の主はトレーニングウェアに身を包んだ1人の女性だった。
髪を後ろで束ねた女性は、走っては立ち止まり、身体をすばやく動かしている。
あの動きはシャドーボクシングとかいう動きだな、男は思った。

男にはボクシングの経験はなかったが、女性の敏捷な動きには目を引かれた。
端正な顔立ちの女性のシャドーボクシングは、さながら映画を観ているようだった。
やがて、男の目の前で立ち止まった女性が、シャドーボクシングを始めた。
起き上がった男は見るともなしに、女性のシャドーボクシングを観ていた。

突然、女性が動きを止めて、男にいった。
「何を見ている、それ以上、見るのなら金を取るぞ」
「いくらだ」、男がたずねた。
「1万円といいたいところだが、5千円に負けておいてやる」、女性がいった。

「安いな」、男は財布から紙幣を取り出そうとした。
「貴様はバカか、貴様の金など欲しくはない」、女性はいった。
「見るのなら5千円だといったのは、君じゃないか」、男は答えた。
「冗談も通じないのか、酔った奴の相手をしていてもしかたない」、女性はいった。

「酔っているのは君だろう、ストイックな自分の姿に酔っている」、男はいった。
「ストイックな自分に酔って何が悪い」、女性はいった。
「誰も悪いとはいっていない、運動でも酒でも酔うことは悪いことじゃない」、男はいった。
「面白いことをいう奴だな、聞いてやるが、酔って何を考えていた」、女性がたずねた。

「相場、わかりやすくいうと株のことだよ」、男はいった。
「偶然だな、私も同じことを考えていた」、女性はシャドーボクシングを再開した。
走り去っていく女性を見ながら、男は再び河川敷の斜面に身を横たえた。
運動中も相場のことを考えるとは、変わった奴もいるもんだ、男は目を閉じた。