2016年5月4日水曜日

銘柄を明かさない理由R65 伝説が生まれる瞬間

第65話 伝説が生まれる瞬間

株には「信用取引」という取引がある。
証券会社に一定以上の担保を預け、証券会社から売買に必要な借金をして行う取引である。
手持ちの資金以上の取引ができる反面、思惑通りにいかなかった場合は追証が発生する。
追証とは、定められた期日までに、証券会社へ追加で担保(現金)を納めることである。

「信用取引」で買いの場合、株価が0円になった時点が、損失のMAXとなる。
だが、「信用取引」で売りの場合、株価が騰がれば、損失は青天井となる。
「買いは家まで、売りは命まで」という相場格言がある。
事実、「信用取引」の売りで、自らの命を絶った相場師は数多くいる。

男は照度の低い部屋で、その株の株価チャートを見ながら思っていた。
予定していたより、多くの資金を借り入れることになったが、まあいい。
高値で売って安値で買い戻せば、莫大な利益を得ることができる。
いよいよ売りだ、奴らの青ざめた顔が目に浮かぶようだ、男は嗤った。

ある証券会社の資産運用を担当する部署、通称アルカディア。
無敗のクイーンには、確信があった。
株価を騰げるには、自ら買って売り、また買って売ることを繰り返さなくてはならない。
つまり、騰がる過程での儲けはほとんどない、奴らは必ず最高値で売ってくる。

「オートログイン完了、シンプルプラン発動」、インカムから電子音声が聴こえた。
架空の個人投資家の取引口座へのログインが完了した。
「不正ログイン感知」、無敗のクイーンは銘柄コードを入力、ENTERキーを叩いた。
やがて、現れた注文は売り注文一色だった。

ついに来たか、無敗のクイーンはシステムをエマージェンシーモードにした。
「シンプルプラン停止」、システムが出した買い注文と売り注文が取り消された。
取引時間になったが、その株は売り優勢で株価は下がり続け、ストップ安となった。
後場になり、わずかに反発はしたものの、すぐにストップ安で張り付いた。

株を買う注文には、「指値買い」と「成行買い」がある。
「指値買い」では株価を指定するが、「成行買い」では株価を指定しない。
「成行買い」では、売りに出されている最も安い株価で買うことができる。
すなわち、「成行買い」とは株価より約定することを優先させた買い注文である。

東京証券取引所の取引終了時間が迫っていた。
「頼んだぞ」、小柄な小動物を連想させる女性社員に無敗のクイーンがいう。
「はい」、小柄な小動物を連想させる女性社員は答え、大量の成行買いを出した。
後に伝説となる、ストップ安だった銘柄がストップ高となる最初の買いが入った瞬間だった。