2016年8月25日木曜日

銘柄を明かさない理由R120 男の決意(前編)

第120話 男の決意(前編)

都内にある調査会社、時刻は定時になろうとしていた。
取引先の保険法人から帰ってきた太った社長がやって来て、男に聞く。
「いたいた、3日前に頼んだ報告書はどうなっている」
「さっき、社長の机の上に置いておきましたよ」、男が答える。

「そ、そうだったのか、今朝、頼んだ報告書は、いつ頃できそうだ」、社長が聞く。
「それもさっき、社長の机の上に置いておきましたよ」、男が答える。
横では女性社員が笑いをこらえている。
「そ、そうか、ならいい」、太った社長は汗を拭きながらいう。

定時を告げるチャイムが鳴った。
「では、お先に失礼します、今日は寄る所があるので」、男はいい席を立った。
「お疲れ様でした」、女性社員が声をかける。
「お、お疲れ・・・」、悔しそうに社長がいい、女性社員は思わず吹き出した。

会社を出た男は、いきつけの定食屋へ向かった。
一時期、足が遠のいていたが、最近は店に通うのが楽しみになっていた。
誰かが自分のことを気にかけてくれている。
そのことだけで嬉しいし、思い切った相場も張れる。

今年になってから、男は保有株の買い増しを行なっていた。
2月の聖バレンタインの虐殺相場、6月の英国EU離脱ショック。
思えば、あのときも彼女は見守っていてくれた。
2009年のリーマンショック、2011年の東日本大震災。

彼女は株のことは詳しくない。
もちろん、株を売買したりはしていないし、話をしても通じない。
だが、見守ってくれていると思うだけで心強かった。
ある意味、自分にとっての勝利の女神かもしれないな、男は思った。

定食屋の前に着いた男は呆気にとられた。
店内に明かりはなく、のれんもかかっていない。
今日は休みなのか。
だが、休業の張り紙もない。

何か様子がおかしい。
ひょっとして、何かトラブルでもあったのか。
男は慌てて引き戸に駆け寄り、引き戸を引いた。
カギのかかっていない引き戸は呆気なく開いた。