2016年8月26日金曜日

銘柄を明かさない理由R121 男の決意(後編)

第121話 男の決意(後編)

暗い店内には、1人の男がイスに座っていた。
「今日は休業なんです、のれんがかかっていなかったでしょう」、イスに座った男がいう。
「休業の張り紙がなかったので、てっきり何かあったのかと」、調査会社の男がいう。
「何があったと思われたのですか」、イスに座った男がいう。

ようやく調査会社の男は、男の声に聞き覚えがあることに気づいた。
女性店主といろんなところへ旅行していた頃だった。
女性店主の主人に、2人の関係が知られた。
ある日、男の元に女性店主の主人から電話がかかってきた、あの声と同じだ。

調査会社に勤める男が、定食屋の女性店主の主人と会うのは初めてだった。
「妻とは会わないでくれといったはずだ」、女性店主の主人がいう。
「はい、確かにいわれました」、調査会社の男はいう。
「なら、なぜ会いにくるのだね」、女性店主の主人がいう。

店内の掛け時計が、時を刻む音が聞こえる。
調査会社の男は、おもむろに口を開いた。
「あなたから電話を頂いたとき、あなたはいいました。
妻とは連絡を取ったり、会ったりしないで欲しいと。

私は拒否しました、これからも連絡するし、会いますと。
ただし、お互いの家庭は壊さないようにするともお伝えしました。
確かに、あなたは、それはおかしいだろうと仰いました。
だが会いたいから会う、理由はそれだけです」、調査会社の男はいった。

「前にもいったが、おかしいとは思わないのか、2人とも結婚しているんだぞ。
お互いの家庭を壊さないといったね。
まったく、何をもってお互いの家庭を壊していないといえるのか。
家庭を壊さないという君の定義を教えてもらえるかな」、女性店主の主人がいう。

2人の間を静かな時が流れた。
「お互いが、それぞれの家庭に帰ることです」、調査会社の男はいった。
「なんだ、それは、知ってしまった家族は元には戻らない。
結局は当人同士の自己満足じゃないのか」、女性店主の主人がいう。

「確かに仰る通り、当人同士の自己満足かもしれません。
あなたから電話を貰い、距離を置こうと考えたことがありました。
だが、あなたと会って、迷いが吹っ切れたような気がします。
これからはより自分の気持ちに正直に生きていきます」、調査会社の男は店を後にした。