2016年10月1日土曜日

銘柄を明かさない理由R143 狐と狸(前編)

第143話 狐と狸(前編)

週末の夜、それは銀座の高級クラブで起こった。
週末ということもあり、店は賑わっていた。
数週間前に採用された女性は、試用期間中だった。
試用期間中の女性は、男性客2人のテーブルを担当していた。

「トイレはどこかな」、太った狸に似た男が試用期間中の女性に聞く。
「ご案内いたします」、試用期間中の女性はトイレの方向を見ながら席を立った。
狸に似た男は、女性の肩に手をかけて、立ち上がろうとしていた。
狸に似た男は女性の肩に手をかけることができず、身体のバランスが崩れた。

グラスの割れる音がして、鈍い衝撃音がした。
店内の客が見ると、グラスが散乱する中、狸に似た男は床に仰向けに倒れていた。
連れの男は、狸に似た男に近づき、しゃがみ込んだ。
「大丈夫ですか」、連れの男が狸に似た男に声をかける。

狸に似た男は、ゆっくりと目を閉じた。
「おい、君、すぐに救急車を呼べ」、連れの男がいった。
試用期間中の女性は動揺し、うろたえていた。
「一刻を争う事態かもしれないんだ、すぐに救急車を呼べ」、連れの男がいう。

黒服のボーイが、かしこまりましたといい、店の奥に走った。
試用期間中の女性は、呆然と立ち尽くしていた。
店の奥からキツネに似たマネージャーが飛び出てきていった。
「申し訳ございません、今、救急車を呼びましたので」

連れの男は立ち上がるといった。
「後頭部を強打している、救急隊員が来るまで絶対に動かすな。
だいたい何だ、この店は、ホステスの教育はできているのか。
話題も少なく客に気を使わせる、挙句の果てには客にケガをさせる、なんて店だ」

キツネに似たマネージャーは、連れの男に謝り続けた。
やがて、救急車が到着し、救急隊員によって狸に似た男が運び出された。
「後は任せて、君は事務所で待っていなさい」
キツネに似たマネージャーは、試用期間中の女性にいい店外へ出て行った。

店の外でキツネに似たマネージャーは、連れの男に連絡先をたずねた。
「今は一刻を争うんだ、あとで搬送先の病院に確認しろ」、男はいった。
狸に似た男と連れの男を乗せた救急車は、サイレンを鳴らし走り去っていった。
あの試用期間中の女性には辞めてもらうしかないな、キツネに似たマネージャーは思った。